伯耆大山

 

門前町

20年前にスキーでこの山を訪れて以来、帰省の際に麓の道路を車で通っても,、列車の中から眺めても,別に行って見たいと思わなかった。

昔は山登りが大嫌いで、苦しい思いをした事しか思い出せなかった為かもしれない。

また、山が好きになった最近でもたかだか1700mの山でたいした景色に出会える筈が無いと思っていた。

先日、ホームページを丹沢関連で検索していたら、たまたま伯耆大山の写真を見付けた。

その写真を見てビックリした。蛭が岳に標高で30m高い程度の山がアルプスを思わせる景色に写っていた。これは登って見る価値があると思った。

山陰に9月中旬の3連休で帰る用事が出来たのでこれは絶対に登らなければならないと思った。

列車の手配を1ヶ月前の夕方に行ったが,、30分早く到着し,且つゆったりした個室のある『サンライズ出雲』は一杯で、二段ベットの『特急出雲』しか取れなかった。

ブナの森

一瞬見えた弓が浜

夜行列車が大好きな私のニ段ベットの定位置は上段で、枕元になる棚が自由に使える事や、夜間の人が行き来する音が小さくなるのでそこを指定する。

会社が終ると横浜駅から20時半出発の列車に乗った。翌日の早朝6時に目覚め、今は営業していない食堂車のテーブルで食事をし、大山の地図を広げる。時間が無くて殆ど下調べ等をしてこなかったのでこの時間は貴重だった。

結局、夏山道が一般的な登り口だったのでそこから登り、六合目の行者コースを下山するルートを選んだ。

定刻通り9時半に列車は到着した。バス乗場を探し、すぐに『観光道路経由大山行き』が見つかったが、9時10分の後は1時間以上も後の10時55分だった。辺りにリュックを担いだ人は誰も居ない。訪れる人が少ない。

初めての山なので少しでも時間の余裕を見ておきたい。迷ったあげくタクシーを選ぶ事となった。

親切な運転手の方で気を使っていろいろと話をしてくれたり、また乗る前に運賃を確認したら5千円と言って実際はもう少し掛かりそうになったらメーターを止めてくれた。気持ちが嬉しかったので六千円を渡した。

船上山

ガスって見えない

樹林の間を走る。運転手の方が『紅葉時は綺麗です』と話してくれた。確かにこの森を見るとそう思える。

大山寺に着くと帰りは余分な出費が無い様にバスの時刻を確認した。(10時20分)

上の写真1番目の登り道を暫く行く(10時30分)と、右側に交番があり更に進むと公衆トイレがある。そこを右に進むと夏山道とまじわう。

栄枯盛衰の寺社跡を眺めて相模大山と同じく波に呑まれた歴史を感じた。

さらに進んで左折し、夏山道へ進んだ。ここは標高700mで頂上までの高度差は1000m、略相模大山と同じである。(10時40分)

若者や少し若者のグループを追い抜いて行った。この体調の良さが不思議だった。久し振りに誰にも抜かれる事はなく、相当な人数をごぼう抜きした。

木々の中を歩いているのと、辺り一面雲が張り付いて視界が良くないので見るものが余り無いのでただ登るだけになった。

それでもここの木々は枯れて倒木となるものが少なくブナなどが原生林を形成している。『植物の宝庫』と言われるのも頷ける。丹沢も昔はこんな感じだったのだろうと思われた。

延々と続く木道

倒れて枯れた大木

6合目までは背丈を超す木々が多く、道も木組みの階段状になっていたが、ここから先は背丈程度の木々が多くなる。従って本来なら視界も良く頂きも見えたのかもしれない。

『山の神さん』と書かれた祠があると直ぐに行者コースの道が交わり六合目は近い事が分かる。ここに昔は遥拝所があり東の尾根から登る日の出を拝んで登山の安全を祈念した場所だった。

しかし、雲は取れる事もなく全く視界が利かない。(11時30分)

11時40分、人が集まっていた。大きな看板がありここが6合目と分かった。それにはここから隠岐ノ島を望む事が出来るとあるがガスで真白な状況で視界は利かない。

休まずに足を進めたがこの辺りで急に足が重く感じる様になった。約120m位登るとがれ場になった。さらに60m登るとがれ場が終り木道になった。

山慣れた人が『ここまで来れば大山は登ったも同じ』というので安心した。木道に登らず辺りの風景を撮っていた。(12時5分)

頂上小屋風車

木道分岐地点

するとどうだろう。

雲の切れ間からゴルフ場が見えその切れ間が段々と日本海側に移動していく。するとそこには曲線を描いた海岸線と何とも表現の出来ない青い海が望めた。

瞬間この山に登れた事、この風景に出会えた事に感謝をしつつ、また快晴の日に登りたいと思った。シャッターを切ったが雲のスピードが速くあっという間に白い幕は下ろされてしまった。

大山キャラボクを保護するこの木道は意外に登りが急で途中で何度か休みを入れた。その都度周りの草花をゆっくり眺めた。

ヤマトリカブト、サラシナショウマ、イヨフクロウ等が見られた。真っ白になった大木が横たわっていた。昔はこんな木も何本かあったのだろうと思われた。しかし、これだけ登る人が少ないのに自然保護はキチンと行われているのに関心をした。また、頂上は一時は裸地になったものを一木一石運動で少しずつ復元されている。

丹沢もそんな活動が必要ではないだろうか。

石室への道

石室付近

時折ガスが飛ばされて視界が広がると、木道が山のピークを幾つも乗越えて続いているのが見える。

そのうちに分岐が見えて石室からの道がまじわる。更に進むと霧の中に風車が見え、木道が分岐している。これは後で分かったが小屋を一周している道だった。

左に進むと直ぐに小屋の入り口があり、急いで入り『ビールを下さい』といつものセリフである。(12時30分)

しかし、小銭がなかった。1万円を出したが快く受け取ってくれた。

頂上の休憩場でビールを飲みながら剣が峰の辺りのガスが飛ばされるのを待ったが全く動く事もなく、ホームページでみたあの力強い頂きは写真に残す事が出来なかった。

駅のコンビ二で買った寿司弁当を食べて下山する事にした。頂上ではネジバナが咲いていてビックリした。

イヨフクロウ

大神山の後ろ向き門

下山を始めると雲が少しづつ切れてきた。石室に向かうと急な下りで麓まで一気に落ちそうな感じがする。(13時)

避難用に作られた石室の中は現在は資材等が置いてあった。

また、周りにあるという地蔵が池と梵字ヶ池の二つは見つける事が出来なかった。ここは大山寺の独特な神事の『弥山禅定』が行われていた聖地であった。(13時30分)

少し視界は良くなったがそれでも頂きは見えない。下山を続けた。

行者コースは道が整理されて歩き易かった。ここは夏山と違い森が広く感じられなかった。

元谷小屋まで降りると山の頂きの一部が見えてきた。北風が吹きあげてきたので、ひょっとして晴れるのではないかと期待したが少しだけ雲が上がっただけで一向に雲がとれない。(14時50分)

最後に見えた北面

止む無く帰路に向かった。ここで道を間違えて舗装された道を進んでしまった。少し大回りになった。寂静山手前から大神山神社に戻った。ここで三つの日本一を見学し、金門を探した。

表記がなくどれが金門か分からなかったが大山自然科学館で『御金門の額を岩戸に架け』とあったので岩が大きく左右に切り立ったところが金門と知った。

バスの時刻が14時40分以降は17時30分までないのでゆっくりと大山寺道を楽しんだ。

バスに乗る10分前に雲が完全に切れて左の全貌が見えたがこれも僅か10分程度で雲に覆われてしまった。約1時間でバスは米子駅に着いた。